連載第5回

がんばれ!同窓生~次世代へ贈る言葉~

今の早稲田の社学生は、30年以上も前に卒業した我々の時代よりはるかに優秀でしっかりした人が多い反面、不透明な社会にあって心の折れやすい人達も増えてきているのではないでしょうか。当企画は、各界でご活躍されている卒業生にお話を伺い、社学稲門会のfacebookやホームページでその活動をご紹介すると共に、卒業生から若い世代の方々にエールを送っていただくという趣旨です。今回は、ビジネス界から歴史小説家に転身されご活躍中の伊東潤さんに力強いエールをいただきました。(文責:1983年卒 伏見英敏)

<早稲田大学時代>

~我々の年代の仲間の多くは、毎日のように早稲田に足を運んだけれど、悪友に阻まれなかなか教室にたどり着けなかった人が多いように思いますが、伊東さんはどんな学生生活でした?

伊東:僕は、社学と二文の学生だけの軟式野球部に所属していたので、哲学堂のグラウンドで週3回午前中に練習してから大学に行きました。当時の社学は一時限が二時十分からでしたからね。練習は午前中でした。授業に出ない時は、文明堂でマージャンというパターンです。まあ、自慢できない学生生活は皆と同じです(笑い)

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~横浜スタジアムで売り子のアルバイトをしていたというのを聞いたことがありますが・・・。

伊東:そうですね、バイトには、四年間ほぼフル出場していました・・・ということは授業にはあまり出てなかったのかな(笑い)

~同年代の仲間の話では、当時の社学は早稲田で一番入りやすくて、一番卒業しやすい学部だったじゃないかと・・・。

伊東:そうですね、軟式野球部の仲間にも、優が30個超の人間がごろごろいたので、採点は割とゆるかったかも。僕の成績も悪くはなかったです。当時の社学は、ほかの学部に落ちても早稲田に入りたいという人が多かったので、一浪や二浪はざらでした。
学生時代の僕は、現役で入学したせいもあって、周りの社会人組や浪人組のいわばアニキのような人たちについていくという感じで、全然自覚を持ったタイプじゃなかったですね。カンニングも派手にやっていましたよ(笑い)

~どなたか印象に残る先生はいらっしゃいますか。

伊東:自分自身がまだ幼かったので、授業に感銘を受けて記憶に残る先生はあまりいないですね。ただ、中野正剛先生のご子息の中野泰雄先生は厳格な方で、ものすごく良いことをおっしゃっていた気がしました。どんなことを言っていたのかは覚えていないんですけど(笑い)

~早稲田界隈でよく行ったお店の思い出はいかがですか?

伊東:高田馬場で飲む機会が多かったですね。サカエどおりの入り口に『てっぽう』という焼き鳥屋があって、軟式野球部のたまり場になってましてね。ついこの前まであったんですが、失火で焼けてしまったんです。幸いにしてけが人はいなかったんですが、マスターもいい年ですし、今後を思うと心配です。

~戸山町界隈には、下宿が多かったですね~。

伊東:4畳半とか3畳の古い下宿がすごくたくさんありました・・・。人の住むようなところじゃなかったです。坊ちゃん育ちだったので、とてもカルチャーショックを受けました(笑い)

~布団が一組しかない友人の下宿に押しかけてよく泊めてもらいました。

伊東:狭い部屋に何人かで壁にもたれかかって平気で寝てましたね。夜中に起きて下宿のトイレに行くのは怖かったです。町中なのに何かが出てきそうで。

~お店も金城庵や三朝庵のような老舗はかろうじて残ってますが、南門どおりも西門どおりもずいぶん入れ替わりました。この季節だと7時くらいになると大隈講堂に灯がともりますが、我々の時代だとようやく人が動き始める時間でも今やそのころにはもう学生はいないです。

伊東:そうなんですか。最近の若い人は皆、飲まずに帰っちゃうと聞きました。我々の時代とは全然違いますね。うちの息子も日大の理工学部に行ってますけど、いつも早く帰ってきますよ(笑い)

~早稲田の自由闊達でバンカラなイメージに憧れて入った人も多かったですね。すごく年上の先輩や同級生がいたり、豪快に酒を飲む人が尊敬されたり、中退の方が有名になれるという変な都市伝説みたいなものがありましたよね。

伊東:そういえば『いつの間にかアイツいなくなったな』なんて人が結構いました。今思うと不思議ですよね。三年ぐらいになると、見かけなくなる人がざらにいるんですよ。あの人たちは今、どうしていることやら。

~よく言えばダイバーシティ的でいろんな奴がいて面白かった。

伊東:実は僕は、早稲田に憧れていなくて、社学しか受験しなかった。明治や立教にも合格したんですが、それでも『早稲田ってなんかカッコイイな』と思って入りました。入学後に『えっ、午前の授業ないの?』みたいな感じでしたね。まあ、良くも悪くものんびりしていたんですよ。

~昨年、学部創設50周年でしたが、私たち1979年入学組は、14期生でまだまだ歴史が浅かった。

伊東:えっ、14期生ですか? 初めて知りました(笑い)。そんなに歴史が浅かったんですか。

<就職そして転職>

~卒業後のお仕事についてお話いただけますか

伊東:新卒で東芝テックに就職して、2年後に新卒同然の扱いでIBMに転職しました。テック時代は主にPOS関係の仕事ですね。IBMには10年くらいいました。IBMにいると、外資系のIT企業からヘッドハンティングに来るんです。35歳の時、外資系の人材エージェントの提示する条件がいいので、ドイツのSAPに移りました。SAPはとても良い会社でしたが、その後もヘッドハンティングで3社ほど移りました。
 でも、このままじゃ、外資系渡り歩きのチーママ状態なので、スキルを付けるべく、一念発起してコンサルティングファームに入りなおしました。そこでコンサルタントとして、企業戦略やサプライチェーン・マネジメントの修業を積んだのですが、この経験が今に生かされています。
しかし組織人を二十年近くやってきて、つくづく自分は人と一緒に何かやることが向いていないと覚りました。コンサルタントもクライアントがいますから、思った通りにはいかないんですよ。やはり自分の適性を生かすには、自己完結の仕事しかないと思い始めました。
 その後、友人と小さなコンサルティング会社を起業して結構うまくいっていたんです。IT業界でお客さんにソリューションを売り込む企業がありますよね。そこに行って若い人をコーチングするんです。製造業の現場に一緒に行って、サプライチェーン・マネジメントの提案をするとか、このお客さんにはこういう問題があるからこういう提案をしなくちゃいけないというように、共同で提案書を作ったり・・・。ニッチな仕事なので競合もあまりいなくて結構好調だったんです。ところが2008年のリーマンショックのあおりを食らい、5~6社あったクライアントすべてから切られてしまいました。

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~あれはすごかったですね~。

<運気の『流れ』と人生の勝負どころ>

伊東:それでも何とか会社を続けようとしました。ところが、巡り合わせが悪くて新しいコンサルティングの契約が取れない。つまり『流れ』が非常に悪くなっていくんですよ。これまでなら絶対契約してくれるはずのお客さんでもダメになることが続いて・・・。一方で、既にその当時から書き始めていたんですが、作家の仕事はいろんな偶然が重なって、とてもうまく行き始めたんです。当時、子どもを二人私立の小学校に通わせていたので非常にリスキーだと思いましたが、作家の方に傾き始めた『流れ』を選んだんです。『ここは人生の勝負どころだな』と思ってね。

~それが2009年ごろですね。

伊東:そうですね、完全に専業になったのは2010年です。

~勝負の引き金になったのはなんですか。

伊東:今申し上げたように、『流れ』が作家の方に傾き始めたと感じたからです。実は流れが来ているのに、過去に決断できなくて後悔した経験がありまして・・・。1990年ごろ日本オラクルができたばかりの頃、友人に強く誘われたんですが、結局行かなかった。その頃、オラクルに行った連中は、ストックオプションで大金持ちになったんです。役員になった人もいます。自分としては、あそこで勝負をかけられなかったことに悔いが残っていました。つくづくチャンスは何度もやってくるものではないと思いました。若い時は、またのチャンスは来るさと思い、今回は見送っておこうと思いがちですが、人生の大きなチャンスなんて、多くても三度ぐらいしかありません。

<コンサルティング手法で自分自身の分析>

~歴史小説のジャンルを選択した背景はなんですか。

伊東:自分自身がコンサルタントでしたから、小説の世界に身を投じるにあたり、自分なりにどう差別化をするかを考えました。具体的に言えば、誰かの空いたシートに座れるかどうかを考えたのです。当時は、司馬遼太郎さんとか吉村昭さんとか池宮彰一郎さんとか、歴史小説のレジェンドと言われていた人たちが90年代後半から2000年代にお亡くなりになっていました。安倍龍太郎さんや火坂雅志さんたちはいらっしゃいましたが、シートは十分に空いていました。
歴史がすごく好きとか得意というわけではなく、正直な話、そういう戦略的観点から入ったのです。ですので、よく誤解を受けるのですが、私は面倒くさいことが好きな歴史オタクではなくストーリーテラーなんです。

~面倒くさいこととは?

伊東:歴史小説家というのは、面倒くさがりな人が多いので、一次資料など当たらないんです。つまり人間ドラマばかりを書きたがるんです。史実あってのドラマなので、私は労をいとわず調べましたね。それが初期の差別化要素かな。

~作家としては後発だからといって、時間のかかることは避けた方が良いと言うわけではないのですね。

伊東:株式投資の世界に『人の行く裏に道あり 花の山』という格言がありますが、それと同じで、人と同じ道を行ってはいけない、人のつけた轍の跡は進まないと言うのがポリシーなんです。

~まさに差別化ですね。

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伊東:何をするにしても差別化していかないと、これからの時代は生き残れません。差別化とは、つまり自分の強みを見つけることです。小説家になるにあたり、自分の強みとは何か、いかに独自性を打ち立てていくかを、コンサルティング時代に会得した手法を使って考えていきました。
そこで出した答えが、歴史解釈力とストーリーテリング力の融合です。
単に歴史解釈力だけだったら大学の先生とかプロの研究家に敵わないですよね。一方、ストーリーテリング力だったら、宮部みゆき氏や伊坂幸太郎氏といった天才には敵わない。
だけど歴史解釈力とストーリーテリング力の融合という二つの強みがスパークするポイントだったら、今の日本の作家で、僕に勝てる人は誰もいないですよ。つまり一つだけの強みでは勝てない世界も、複数の強みの融合なら、勝ち目が出てくるんですよ。

~なるほど。

伊東:もちろん事前に、そこにお客さんがいるかどうかをマーケティングしておかねばなりません。歴史小説は今でも十分に需要がありますし、忍者や剣豪が縦横無尽の活躍をするものよりも、斬新な歴史解釈のものを読みたいという読者は数限りなくいます。

<自分の強みを意識することと強みの複合化が大切>

~最近の学生さんは、英語くらいは使えるのが普通でしょうけれど、それだけでは強みにならない。

伊東:そうですね、強みは一つだけだったら、上には上がいるから勝てないんですよ。野球に『走行守三拍子そろった選手』って言葉があるように、何か一つに秀でているよりも、野球に必要な三つの要素がそろっている選手の方が、重視されるのと同じです。
強みを複数持つことで自分がオンリーワンになれる。わかりやすく言えば、英語だけじゃなくてドイツ語とかフランス語ができるとかね。プラスで何かを持つということです。
知り合いで早稲田の文化構想学部に所属する学生がいるんですが、将来は編集者としてやっていきたいと言っている。だけど編集者には、すごいセンスや技術を持った人たちがわんさといる。ただ、彼はITに強いんですね。今やSNSを使っていろいろな宣伝をする時代ですから、彼の得意なITと編集の二つの強みを持っていたらオンリーワンになれるよって言ったら、天啓のように喜んで、そこに絞り込んでスキルを付けていったので、今はどんどん成長してますね。

~なるほど、今のお話は、学生だけでなく次のステップを考えている人にもとても参考になりますね。まず強みを意識する、そして強みを複合化するですね。

伊東:その通りです。複合化とか融合によって、新しい何かを生み出すこともできます。小説でいえばジャンルですね。自分では意識していないんですが、私の作品は「新しい時代の歴史小説」と呼ばれています。すでにフォロワーも現れるほどで、そいつらの方が文章がうまかったりします(笑い)
何事もパイオニアが勝つとは限らないので、今は気を引き締めています。とくに作品を出すからには、「ハズレなし」を心がけています。たまにホームランを打つより、常にヒットで出塁する。こんな体型で言うのも何ですが、私は打率重視のバッターですよ。

~簡単ですか・・・?

伊東:ハズレを出さない方法は簡単です。一流の作家でもハズレを出すことがあるのは、『こいつは面白そうだな』って思いつきの題材に飛びつくからです。
自分の強みを生かした題材を選んでいけば、ハズレは出ません。
これは、先ほど話していた『作家(人間)としての強み』とはまた別の『題材的強み』ですが。
例えば、僕の題材的強みは『躍動感』と『海の描写』です。それを生かして戦国時代とは別の題材を描こうと思い、古式捕鯨という題材に出会いました。そして『巨鯨の海』や『鯨分限』という代表作をものにすることができました。

~なるほど、なるほど。

伊東:ただし、小説をこうした理論で語ってしまうところに、自分が直木賞を取らせてもらえない理由があるのかもしれません。(一同爆笑)
しかし読者が楽しんでくれれば、それでいいんです。

~直木賞の話が出ましたがこれまで5回ノミネートされてますね。

伊東:この賞は取れていませんが、これまでにプロ同士の戦いで、候補名が挙がったもので六つも文学賞をもらっているので、まったく気にしていません。単に巡り合わせの問題でしょう。

~選考委員にとって小説と言うのは技術的なものというよりは感性的なものということですね。

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伊東:それが主流の考え方です。小説家にとって神秘性というのは大切ですが、エンタメ文芸はスキル95%ですよ。仕事方法を習得できれば、まあ、誰にでもとは言わないまでも、そんなに困難なものではありません。

~今一番新しい単行本は『城をひとつ』ですか?

伊東:そうです。

~主人公の大藤信基という人は実在した人物と言うことですが、これまでこのような人物はあまり題材にならなかったのではないですか。

伊東:そうですね、調略戦すなわちスパイゲームというのは、なかなか題材として取り上げられませんでした。なぜかというと、すぐに発想が忍者に行ってしまうからです。

~ある種のマーケティング戦略ですね。

伊東:諜報戦のようなものを書いてみようと思ったんです。もう読者が忍者には飽きたんではないかと。

~そうなんですか。

伊東:いい加減トウーマッチでしょう。忍法の技が過激になるだけで、最近の忍者小説はリアリティが薄れています。それよりも僕はリアリティある歴史小説を書きたい。それも登場人物の痛みや葛藤を読者が共感できるものをね。

~ちょっと立ち止まったり、行ったり来たりするところがあった方がいいわけですね。

伊東:あった方がいいんです。現代を生きる我々と同じように、当時の人も悩んで壁を乗り越えていったわけです。そうした苦闘の姿を描いていきたいですね。少し前に出した『江戸を造った男』などは、それが結実したものです。

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<客観的な自己分析と教養を高めること>

~これまでお話いただいた内容も十分若者へのエールに思えますが、改めて次世代に贈る言葉をいただけますか。

伊東:まず己を知ること。己を客観的に知らないと、人生の勝負はかけられません。どうも今の若い人たちは、自分の力量を高めに見積もり過ぎています。我々の世代と比べると、万能感を持ちすぎですね。
これからは、政治でも経済でもビジネスでも混迷の時代が来ると思うんですね。でも混迷の時代というのは、逆にチャンスが多い時代です。そのチャンスをどう活かして行くかは本人次第なんですけど、何を措いても日頃の準備がすごく大事です。自分の仕事に関する勉強、人間関係、そして教養を高めていく努力。
ライフネット生命の出口治明さんも常に言っていますが、これからビジネスや経営に携わっていく上で教養がすごく大事です。無駄なようであって、実はそこに教訓の山がある。僕の仕事からすると、歴史から学ぶことがあまりにも多いので、皆さんにも歴史をもっと勉強して欲しいです。なぜ同じ間違いを繰り返すのか、それは歴史から学んでないからです。若い人は、とくに歴史から学んで欲しいですね。

~日本の歴史は、明治以前と維新後がブチッと切れていて前の時代を参考にしない風潮があったのではないでしょうか。

伊東:というか、歴史から何が学べるかをしっかり書いたものがないんです。僕は『敗者烈伝』という著作で、25人の敗者の敗因を書いてみました。敗者には様々な敗因があるんですけど、そういったものをしっかり勉強してもらえれば、必ず役に立つと思います。

~今の学生でもこれまであまり頑張っていなくて『しまったな』と思っている人もいるかもしれませんが、『not too late』の精神で気合を入れて勉強しなおして欲しいですね。

伊東:おっしゃるとおりですね。僕もキャリアパスの大転換を図ったのは50歳の時です。自分なりの戦略をしっかり持ち、地に足をつけた努力ができるなら、何事にも遅いということはありません。
特にこれからの時代は、ドンドン新しいものが出てくると思うので、ある意味下克上ができる時代です。
私の業界で言えば、今一番売れている人、たとえば東野圭吾さんには2005年時点では、勝てる可能性なんか皆無ですよ。ところがこれからSNSが出てくる、電子書籍のプロモーションの仕方なんかも日々変わってきていきます。コンテンツ・ビジネスの最前線にいる人たちは、もっとも効果的なプロモーションの仕方を日々、仮説検証しています。そうした時代だからこそ、下克上が可能なんです。

~社学稲門会は最年長でも70歳前後ですが、今のお話は若い人たちだけでなく、全ての同窓生にむけたエールと言ってもおかしくないですね。

伊東:僕は、いくつになっても元気で書けるという状況なら、書き続けるつもりです。大家や大御所に収まるつもりはありませんし、いくつになっても、誰にも負けたくないと言う気持ちで書いていくつもりです。まあ、見ていて下さいよ。

~本日は貴重なお時間とお話をありがとうございました。

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<プロフィール>

1960年 神奈川県横浜市中区生まれ
浅野中学・浅野高校・早稲田大学社会科学部卒業
1983年~1986年 東芝テック株式会社
1986年~1995年 日本アイビーエム株式会社
主に神奈川県内の営業担当
1996年~ 中小の外資系企業の日本法人責任者など
2004年~ 契約コンサルタントとして独立
2006年 コンサルティング会社設立
2007年『武田家滅亡』(角川書店)でデビュー
2010年 専業作家として独立
URL : http://itojun.corkagency.com/

<あとがき>

伊東潤さんは、低音で艶のある美声でこちらの拙い質問にも丁寧にお答えしてくださいました。自分の強みを意識して複合化すること、好機をつかむために日々研鑽することなど、若者たちのみならず中高年にも響くお話です。インタビューが終わってから懐かしい夜の早稲田をそぞろ歩き、『志乃ぶ』へ到着。吉田広報委員長、新谷副委員長とともに楽しい懇親のひと時を過ごしました。

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