連載第1回
メルセデス・ベンツ日本株式会社 
代表取締役社長兼CEO 上野 金太郎さん

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●乗用車営業部からスタート!

阿川:今日は、上野さんの学生時代のお話や、就職されてから今日までのお話などをお聞きしたいと思います。

上野:学生時代は、学校周辺には良く行ったのですが、教室にたどり着く前に悪友につかまっていたものですから、ご期待に添えるかどうか・・・(笑)
昨年、20数年振りに早稲田に行き、校友会の方にキャンパスを案内していただく機会がありましたが、立派なビルが立ち並んでいて驚きました。

阿川:早稲田の風景もずいぶん変わりましたね。

上野:私は87年(昭和62年)の卒業ですが、会社は前の年に設立されたばかりで30名くらいの規模でした。
初めの10年くらいは、本当にバタバタな状態で、会社の規模も急激に大きくなって、社員数も10倍、15倍と増えていきました。クライスラーとの合併や解消などもあって、プライベートな時間があまりなくて、会社中心に生活がまわっていました。

阿川:メルセデス・ベンツ日本が設立されてからは、輸入はすべて御社ですか。

上野:そうですね。86年に輸入権を獲得して、正式に色々と始まったのが87年でしたので、私が入社して間もないころです。
インフラもまだ整ってない状態で始まって、最初に配属されたのは乗用車営業部というところでした。発注から輸入、通関、卸売、車の部品など一連の仕事は全部にかかわってました。仕事の原型は変わってないので、会社の動きは理解できていると思います。

阿川:注文乗用車のようなものが今でもあるんですか。

上野:日本ではほとんどのオプションが付いていますので、在庫販売が基本ですね。ただ、今でも稀に注文があります。まさにこの部屋にAMGと看板が掛けてありますが、これがメルセデス・ベンツの中で発注して作れるハイパフォーマンスな車種です。エンジニアが独立してレースに出たことがきっかけとなって、このブランドを育てていって、扉が屋根の上まで上がるものとかスポーティな車を作ってきたのですね。日本ではどういうわけか「アーマーゲー」と呼ばれて親しまれてますね(笑)

●アメリカンスクールから早実へ

阿川:大学時代はどんなことを中心にされていたんですか。

上野:小中とアメリカンスクールに通っていまして、中学生の頃にレーシングカートに熱中し、レースにも出ていたんです。ある方の助言もあって中学3年の時に日本の学校に転校したんですが、モータースポーツにはかかわっていきたいなとずっと思っていました。高校に入ってからもオートバイや車の免許はいち早く取得して・・・。
そういうバッググラウンドがあったので、高校・大学時代は、クルマの雑誌の編集とかクルマ関連の業界でアルバイトをしていました。一応大学にも顔を出していて、試験を受けてレポートもちゃんと出してなんとか4年で卒業できましたよ(笑)私にとっては、社学はとても理想的で、当時極端に朝早い授業もなかったし、バランスのとれた時間帯に授業が受けられたという感じがします。

阿川:アメリカンスクールに入られたきっかけは。

上野:外資系企業から独立して事業をしていた父が仕事上で一番苦労したのが言葉だったと感じていたからだったと思います。

阿川:ではメルセデス・ベンツに入社されても言葉ではあまりご苦労されなかったんではないですか。

上野:そうですね・・・でも基礎はできていたんでしょうけれど、中学生までの英語とビジネス英語では結構ギャップはありましたね。

阿川:大学時代はゼミは取ってましたか。

上野:古川先生のゼミに入ってました。ただ、先程も言いましたが、学校には良く顔を出していたのですが下から(早実)の悪友たちがこのくらいの時間には来るはずだと網を張って待っているもんですから、教室までなかなかたどり着けなかったですね。
ゼミの授業で面白いなと思ったのは、日本経済、特に自動車産業の国内空洞化についてで、卒論でも書きました。

阿川:卒業の87年当時は、日本経済が沸いていた時期だと思いますが、産業の空洞化について予測されていた人は少ないんじゃないですか。

上野:予測というか、高校・大学とクルマの雑誌などに携わっていて、海外でそういう現象が起き始めていたのを見聞きしていましたから、これはもしかしたら日本でもと。

阿川:なるほど。学生時代にスポーツは何かやってたんですか。

上野:中学までは当時一番はやっていたバスケットボールを。高校に入ってからは、周囲のみんなが心配する通り、オートバイで足の骨を折ってしまって、それ以来本格的なスポーツはやってません。
逆に20数年間の沈黙を破って今、トライアスロンに挑戦しています。3~4年前まで今より12~3キロ太っていたんですが、おかげさまで健康診断の結果も全て良くなってきていいことづくめですね。

阿川:87年卒業ですともうすぐ50代ですね。

上野:今年50歳です。海外出張が今でも年間14~5回、国内も合わせると1年の半分以上家にいなくて全部外食なので健康管理しようと心がけています。